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僕のプロフィール動画「プロジェクトS シンタロウの流儀」できた!

やっとできた~

以前から作りたかった僕のプロフィール動画です。かなりデータが重くてパソコンがついていけなくなり、メモリ、HDDをパワーアップしてやっと完成しました。
めっちゃ疲れた~

僕の若いころ、悪戦苦闘の時代、ハンドルをつくったきっかけができるまでです。
まあ、こんな感じでいつも楽しんでいます。ぜひ見てくださいね。

人生を変えた贈り物。

人生っていろいろありますよね。本当に山あり谷ありでちょうど僕の人生のなかで谷の中で(本当に谷底で)ジタバタしていたときがあります。

ちょうど大阪の家具店の修行から帰ってきて親父の店を手伝い初めたときです。当時の僕のお店はよくある商店街の家具屋さんで本当にお客さんが来なくて、ヒマでヒマでこのままではお店潰れちゃうんじゃないかなと毎日思っていました。

でもね、自分なりにいろいろやりました。家具のレイアウトを変えたり、ペンキまみれになって夜中まで壁にペンキをぬったり、夜の10時まで婚礼家具の外商に回ったりして・・・・。

だけど、なかなかお客様が来てくれないんです。本当につらかった・・・・。

そんな時にある雑誌を見ていたら、ドラッグストアの社長さんの取材があってそこにこんな文が載っていたんです。

「昔、まだ東京にいた頃、ある人から言われた言葉があるんですよ。20才から35才の間に、5年間、とにかく自分のために死に物狂いで頑張ってみろと。そうすれば残りの人生、なんとかなるものだとね。私は丁度26才から31才までがそんな時期だったと思います。人は誰しも結果はどうであれ、死ぬとき、あの5年間があるから自分の人生悔いはなしと思えるような、そんな時間を一度は送ってみてはどうかと思うんですよ。ずっと流されて生きるのではなくてね」

感動しました。っていうかすごく楽になりました。5年間がんばろうと・・・・。
本当に僕を救ってくれたありがたい言葉でした。いまでも、その記事をとってあって僕のデスクマットの中に入っています。
それが僕の25才から30才だったように思います。でも、5年が終わると思っちゃうんですね。
もうあと5年がんばろうと。

みなさんは人生を変えた言葉などもっていますか?教えてくださいね。

話は変りますが、「西遊記」を見ているゆうたろうは今週もなぜか正座でした。
まるいでしょ!(笑)

ガンバレ ニッポン!!

タンス屋さんに生まれて

今日はちょっとプロフィールを
前にも話したことがありますが、僕は末っ子長男、姉3人(何かドラマでもあったような気がするのですが・・・・)の四人兄弟。

商売をしているので僕が生まれたときにはお店でみんなが「バンザ~イ」と叫んだそうです。
親父はどうしても男がほしかったんだなぁ。でも、僕も子供を持って初めてその気持ちがわかってきたような気がします。

ところで、小さい子供のときはよく倉庫で遊んでいました。家具屋さんはダンボールが多くて子供にとって探検するには絶好の場所なのです。よく倉庫のおじさんに怒らえたりもしましたが
なんか本当に楽しかった記憶があります。

当時、カラーボックス(どこの家にもありましたよね!)がよく売れていて倉庫に山積みで親父と一緒に組み立てていました。おかげで手が器用になりましたけど・・・。材木を船の形に切って回りにクギを打ち糸で巻いた船をよく親父に作ってもらい、お風呂や川で遊んでいました。本当にうれしかった。

子供のころ、友達に「お店をやっていていいなぁ」とよく言われましたが、全然よくないですよ!
土日は遊んでくれないし、旅行など本当に数えるほどしか記憶にありません。逆に友達が羨ましくて仕方がありませんでした。
(確かにお店でかくれんぼをしてタンスの中に隠れたりソファの上を飛び跳ねたりと遊び場所には苦労しなかったのですが・・・)今考えればとんでもないことばかりしていたのですが・・。

だけど親父はあまり怒らず多分、そうやって家具に触れ合っていけばいいと思っていたのかなぁ。

そうやってお店が遊び場のようで、暇なときは親のデスクのとなりで家具のカタログをよくみていました。やっぱりその頃から家具が好きだったかもしれませんね。

高校生ぐらいになると、男のわりによく部屋の模様替えのしていましたよ。当時、黒の家具が流行っていてとりあえずベッドやTV台を黒で揃えていました。(そんなときなかったですか~?)
僕の部屋が友達の溜まり場でえらくタバコ臭かったような・・・。(僕は吸ってないのですが)

まあなんだかんだいっても小さいころから周りには家具だらけ・・・。好きになりますよね。

ゆうたろうにはよく倉庫に連れていって少しでも家具に触れさしています。やっぱり、家具屋の息子だから・・・・。

今度は大学の時の話をしますね~。 マハロ~!!

6番 サード 水野君

ナイスピッチング!

昔のアルバムを見ていたらあまりになつかしかったのでご紹介します。

小学3年から6年生まで続けた少年野球。本当に厳しくて、今では考えられないくらいの体罰で、ビンタは日常茶飯事、時にはバットのグリップで頭をこずかれたり本当に監督が怖かったものです。
でも、今では懐かしく「監督さん、今なにしているんだろう?」と思うことがあります。子供をもって初めてわかったのですが、他人の子供を怒るのってすごいことですよね。よっぽど愛情がないと怒れないですよね。えらいなぁと感心します。

僕はゆうたろう、さくたろうと息子が2人いるけど小学校に入ったら野球かサッカーをさせようと思います。どちらでもいいのだけど、より厳しい方にいれようかなぁ。

今の僕の根性・性格は少年野球に培ったものがとても大きいのです。なので息子たちには礼儀・根性をつけるために入れてやろうと思います。でも、ひそかにメジャーリーガーをねらっているのですが・・・。夫婦ではもし甲子園にいったらどうする?などと話すことも。

早く大きくなって家族でキャッチボールが出来るが待ち遠しい今日この頃。

がんばれ!メジャーリーガーゆうたろう。 日本代表 さくたろう。

姉3人 末っ子長男の4人兄弟

老舗家具屋の4代目 シンタロウ 
はじめまして

友人が薦められてはじめたブログ。はじめは難しいかなぁと思っていたけど意外と簡単。
もしや才能?があるのかも。

このかた33年生きてきて、日記なんかは書いたことがありません。でも、ちょっと面白いかも!
あまりきばら?ずに気楽に今日思ったこと、感じたことを伝えていければ・・・。

と、いうことでまずは自己紹介から

1971年(昭和46年)7月28日 生まれの33歳

小さいころから店の倉庫でのこぎり片手に遊んでいた家具屋の4代目。
実は4人兄弟。姉3人末っ子の長男です。なので、よく年上の女性からはかわいがられます。

神戸の大学(ちなみに残念ながら神戸大学ではありません。)を卒業し、2年ほど大阪の
タンス屋さんにお世話になったので、ちょっとおかしな関西弁なまりでしゃべります。

小さいころからインテリアが好きで、よく部屋の模様替えなどを夜中にしていました。

福井に帰ってきてからは親父といっしょに普通の家具屋さんをやっていたのだけど
なんかもっと自分らしいお店にしていきたいと一念発起し、今のお店をしています。

これからも少しづつ紹介していきますね。 mahalo~。