親父 ありがとう。

今日は悲しいお知らせとなります。

昨日、11月30日 午前1時50分 父、銑太郎(享年69歳)が息を引き取りました。
27日から3日間、病院での徹夜の看病もむなしく残念なこととなりました。

6年ほど前に近所のかかりつけのお医者さんに病気を発見してもらい、すぐに福井医科大に入院することになりましたが、病名は「多発性骨髄腫」といい10万人に3、4人の確率の難病とのことです。

それを聞いたときは、平然としてましたが一人、車で運転しながら前が見えないほど涙がながれたことを思い出します。 当然、母は倒れこみとても立てるような様子ではありませんでした。

でも、親父は今考えれば家族には涙は一つも見せなかったように思います。

僕の親父は無類の子供好きで、我が子以外にも近所や友達を本当にかわいがってました。
小学校の集団登校にも毎朝、次女の姉が入学してから僕が卒業するまで14年間、雨の日も雪の日も新聞片手に毎朝きてくれました。子供のころはなんか恥ずかしくて嫌だったけど、今考えれば本当に子供が好きだったんだなぁと思います。例えば、姉とガムを食べるとき新しいガムより娘が噛んだガムをくれというのです。(笑)・・・・僕もゆうたろうに言いますが・・・・。

家族を大事にする親父でいつも食事は一緒に食べてくれていました。礼儀にはうるさかったのですが褒める親父で、座敷のガラスを遊んでて割っても「よくやった」と褒めてくれるのです。
結婚した後、僕の奥さんのユキもかわいがってくれ毎日褒めてくれました。

大学を卒業し大阪の家具店で2年間修行をした後、家業を継ぐべく福井に帰ってきたときは
僕のお店は赤字続きで倒産寸前でした。
帰ってから数日後に親父に呼ばれ台所のテーブルでの家族会議で言われました。
「もう一度家族でがんばるから慎太郎 たのむ。」と・・・・。
その時、「10年かけて業界を変えてみせる。」と心に誓ったことを今でも思い出します。

それから10年間、頑張って「シャルドネ」というブランドを作り上げ、やっと楽をさしてやれると思った矢先の出来事です。
今でもお店の改革をはじめたころ、床を張りなおしたり、倉庫でパネルを夜中まで作ったり、
タンスを移動したりしたことがついこの間のように思い出されます。
もう二度と一緒にトラックに乗って配達にいけないのだと・・・・。

だけどきっと親父は人生に後悔はないと思います。経営者として事業を続けることができ
自分の息子に安心して?バトンタッチできたならそれでいいと・・・。
僕もそう思います。

でもお袋や6人の孫たちともうちょっと仲良く過ごしてほしかったなぁ。

これからも天国で家族やお店やスタッフみんなを見守っていてくれよ!
俺、がんばるから!

お疲れさん、そして ありがとう 親父!!

たくさんの方に、お通夜、お葬式に参列いただきありがとうございました。
この場を借りて深く御礼申し上げます。